日記 救う事を諦めようとしたいつかの私へ。
私は優しい人ではありません。優しい人になろうと、努力してはいるつもりです。
しかし実際は、助けを求めてる一人の大事な人すら抱きしめてやれない無力な人間なのです。
「酷い人だ。」と言われた方が、そうだと笑って返せると思います。
例えば、目の前に「辛い、苦しい。」と助けを求めている人が居たとして、皆なら、声をかけて、抱きしめてやる事が出来るかもしれません。
しかし私は、自分が何か声をかけてやろうものなら、自分が発したその言葉が酷く安く思えてしまい、口にすることが出来なくなって、どうしたらいいのか分からなくなってしまうのです。
そうして、自分の影に「あれだけ救いたいと言っておいて、出来ないじゃないか。」と後ろ指を指されている気がして、何も出来ない自分に、酷く嫌悪するのです。
いつか、助けを求めている大事なあの子に会えたら、この両手で力いっぱいに抱きしめて、少しでも私が大事に思っている事が伝われば良いと思います。私には、それくらいしか出来ないのです。
そして、2人で美味しいご飯を食べて、可愛い洋服やら雑貨をみて、遊びに行って、私が少しでもあの子の生きる気力になる手伝いが出来たなら本望です。
私は、私の大事な人の為に、生きてください。
詩:明日だけの幸福を願う
明日もまた、同じような日が来るのだろう
幸福は一生来ないのだ。
なんて、その通りだと思う。
幸福は一生来ない。
でも、この先の幸福を捨ててでも
明日は幸福であれと
不毛な祈りを捧げるのだ。
きっと明日はいい日になる、と
明日だけはきっと幸福だ、と
同じような日が来ることを知りながら
自分の幸福のために明日を生きていくのだ。
日記:昨日の詩について
こんばんは。
昨日あげた「心象の電気ブラン漬け」という詩の事を書いていきたいと思います。
あの詩は、先日浅草の神谷バーというお店に行って、実際に電気ブラン(ウイスキーみたいなものです)を飲んだ感想、心象のようなものを基に書きました。
電気ブランは、太宰治の「人間失格」にも出てくるお酒で、神谷バーは実際に太宰が訪れたことのあるお店だそうです。
電気ブランの少し甘く感じる香ばしさや、電気の名に相応しい舌がピリピリと痺れてくる感覚。店内のどこを見渡しても、お客さんの誰もが笑ってて
飲んでいて
「電気ブランには、小さな幸せが溶けているんだろうな」
と感じました。
機会がありましたら、是非飲んでみてくださいね。
それでは、また。
詩:誰かの「何か」でありたかった
誰かの「友人」になりたかった
誰かの「親友」になりたかった
誰かの「恋人」になりたかった
誰かの「ヒーロー」になりたかった
誰かの――君の「何か」になりたかった
君のための、君に必要とされる「何か」になりたかった。